園主の小部屋

数学の話

数学の話

ばらとは直接関係のない話で申し訳ございません。
今回は私の大学時代、数学の講義での思い出です。もしもし、よろしければお付き合い下さい。

私の両親は父が物理、母が化学を修めておりましたので、いわば完全に理系の人たちでした。特に母は実際に、数学の講師でもありました。

だけど私は理系のお勉強はなにか難しくて苦手というイメージがあり、真剣に勉強したのは高校受験の時くらい。特に高校に入学してからは美術系の学部志望ということもあり、また学業のレベルも高校の内容は中学よりずっと難しいですからどんどんおざなりに…

その中でも微分や積分、ベクトルなどはまだ理解しやすく割合に好きな分野でした。

大学に入ってから、一般教養の科目の中で「数学」を履修できることを知り、高校生の時おざなりにしてしまった後悔も少しあって、講義を受けてみることにしました。

ところが…です!

先生が語られた数学はこれまでに教わったものとは全く異なるものでした。
出てくる言葉は「宇宙」「N次元」「N乗」「位相」…

具体的な数字は何一つ出てきません。いったい今までの数学はどこへいってしまったのでしょうか?? 先生のお話はどんどん哲学的になり、もはや理解の範囲を超え、ぽかーんと聞いていることしかできない私でした。それでも先生が「数学」という手段を使ってこの深遠なる宇宙のなりたちの解明に挑まれていることに、とても喜びを感じておられるのだということだけは、理解ができました。

広大すぎる宇宙の前にはあまりにも小さなわたしたちですが、その思考はどこまでも深く、また限界もないのですね。そのことを何か、この講義から教わった気が致しました。

とはいえ、最後に私がどのようなレポートを提出したのか全く覚えていません…
あの理解の出来なさではレポートとしての体をなしていないことは明白でしたが、先生が付けて下さった評価は「優」

本来は「優」であるはずなどありえませんが、先生はきっと「休まず講義にでてくれてありがとう。宇宙はこんなに広大で、挑戦の余地がある。瑣末なことにとらわれず、自分の選んだ喜びに心血を注いで、歩んでいってほしい。」とエールを送ってくださったのではないかと思っています。

あの時垣間見た数学の不思議な世界。

ばらの育成や日々の雑事に追われる中でもふと思い出しては、この世界の、そして自分の心の広がりと可能性に思いを馳せ、必ず限界という壁を溶かしてゆけることを信じてまた歩みたい…。そんな優しい希望と感謝を新たにさせて頂いております。

青空に映える辛夷の花
▲青空に映える辛夷の花

今年は花つきがとても良いみたいです。他の木々が芽吹く前に、さみしい風景を癒やすかのように、ふっくらと優しい希望を運んでくれます。

富士見町葛窪地区の湧き水の流れ
▲富士見町葛窪地区の湧き水の流れ

尽きることなく湧き出る清澄な流れ。田畑を潤す命の水として、大切にされています。

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