販売業者 | 姫野ばら園 八ヶ岳農場 |
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代表者 | 姫野 由紀 |
所在地 | 〒399-0101 長野県諏訪郡富士見町境 9700 |
電話番号 | 0266-61-8800 ※4月~7月は出荷作業がピークとなりお電話が繋がりにくいため、 申し訳ございませんがメールやFAX等でご連絡いだけましたら幸いです。 |
FAX 番号 | 0266-61-8801 |
rose@himenobaraen.jp (通常はお問い合せフォームをご利用下さい。) |
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設立 | 2012年3月 |
資本金 | 700万円 |
従業員数 | 8人(季節により変動あり) |
※「ezweb.ne.jp」や「docomo.ne.jp」などの携帯アドレス宛てにメールが届かない事例が多く発生しております。お電話番号等の情報がない場合、ご連絡の手段が無くなってしまいますので、お手数ではございますがお問い合せやご注文の場合は専用のフォームをご利用下さい。
営業時間・定休日
当園は「毎週日曜日」を定休日とさせていただきます。
休園日は電話応対などの業務もお休みとさせていたきます。ご注意ください。
定休日にご来園の場合は必ず事前にご連絡ください。
お電話によるお問い合わせ受付時間は 8:30~17:00 まで、土曜日のみ 8:30~12:00 までです。
ご不便をおかけ致しますが、皆様のご理解ご協力をお願い申し上げます。
ご来園につきまして
当方は小売り業務を行なっていないため、ご来園の際は事前のご連絡をお願いしております。
お手数ではありますが、ご来園の際は遅くとも2日前までにメールやFAX等でご連絡をお願いしております。
特に繁忙期である4月~6月頃まではお電話が繋がりにくい時期ですので、メールやFAXでご連絡いただけましたら幸いです。
ごあいさつ
姫野ばら園八ヶ岳農場のWebサイトをご覧頂き、誠にありがとうございます。
当ばら園は各時代を彩った伝統ある品種を中心に、原種からハイブリットティ種まで約1200品種を保有し、文化遺産としても貴重なこれらの品種の保存に努めてまいりました。苗木はすべて、鉢苗にて生産致しております。
鉢苗は、裸苗に比べますと少々お値段は上がりますが、一般平地でしたらいつでも植え付けが可能です。また時期にもよりますが、多くはすぐに開花がお楽しみいただくことが出来る、いわゆる「即戦力」の苗木であることは、鉢苗最大のメリットと申せます。
特に3年生長尺苗などは見た目も立派で、造園用、贈答用にも高い評価を頂いております。
受注生産のみの品種もございますが、当ばら園の幅広いコレクションがお役にたちましたら、大変嬉しく存じます。
さらに「風景をつくる植物」としての、ばらの持つ優れた特性に着目し、お庭やベランダで効果を出しやすい品種のご紹介にも力を入れてまいりました。お客さまからの植栽相談には、前身であった村田ばら園八ヶ岳農場の時代より、長年に渡り対応して参りました。当ばら園の持つ豊富なノウハウを、どうぞ理想の風景づくりのために生かして下さいませ。
お仕事としてばらに携わるようになってから20年近くなります。
知れば知るほど、奥深いばらの世界。これほどまでに美しく、魅力的な植物に関われましたことはまさに至福の喜びであり、感謝しかございません。研鑽の日々を続け、そして、ばらのように多様性に満ちた素晴らしいこの世界が未来においても守られ、限りなく豊かであるように、心尽くして参ります。
代表 - 姫野 由紀
取り扱い品種について
当園ではかねてより、文化的遺産としてのばらの品種保存に尽力して参りました。
従いまして新花の取り扱いは基本的に行っておりませんが、原種からオールドローズ、つるばら、そして四季咲き木立性ばらに至るまで、その時代を彩った品種や庭造りの素材として優れた品種などを中心に、幅広い品揃えがございます。詳しくは各系統のページや品種検索機能などをご活用下さい。
※イングリッシュローズに関しましては代理店の関係から、現状では取り扱っておりません。
苗の形体について
当園は鉢苗仕立てにて生産しております。そのため、販売時期は限定的でなく通年苗の販売をしていおります。
夏場でも、根を切ることなく植えることができますので、急激に萎れることもありません。
お客様の好きな時期にお買い求めになれます。
通信販売法に基づく表記について
詳細は下記ページをご覧下さい。
著作権など
著作権について
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また、相互リンクは募集しておりません。
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代表 プロフィールと経緯
代表 姫野由紀(ヒメノユキ)
当園の代表を務めさせていただいております。出生地は兵庫県芦屋市ですが育ったのは奈良県で、話し言葉は今も関西方面のものです。
子供の頃から植物や鳥が大好きで、今もそれはずっと変わらず続いています。
ただ、この農場に就職するまでは5年間会社員として勤務していました。サッシや住宅設備機器を扱うトステム株式会社で、ショールームスタッフとしてシステムキッチンやバスルーム、その他取扱商品のご説明やご提案、見積書作成などの業務にあたっていました。会社の方々には大変お世話になり、今もその思いは尽きることがありません。自分の社会人としての基本はこの時期に培われたものと考えております。
一方で絵を描いたり、楽器を演奏するのも好きでしたので京都教育大学内にて日本画を専攻し、中学生の時に初めて習ったフルートは現在も細々とではありますが、ご指導も頂いて続けております。
村田 晴夫氏との出会い
「村田 晴夫さんとはどうやってお知り合いになったのですか?」とよく聞かれます。実は口コミなのです。
ショールーム勤務も4年目を迎えた頃から、子供の頃から好きだった植物や自然に関わる仕事がしたいという気持ちが日に日に強くなり、そのような仕事をもとめて活動し始めていました。そんな折、甲府で会社勤務をしていた妹から「小淵沢にばらの農場があって、管理をしてくれる人を探している人がいる」という連絡があったのです。
その人がまさに師匠でもある村田 晴夫その人でした。1999年10月21日、小淵沢駅で初めての対面でした。小淵沢の農場は当時まだ畑一面だけで、人手が入っていなかったため少々荒れてはいましたが、たくさんのばらたちに囲まれ、私の気持ちに不思議と迷いはありませんでした。
程なくしてお世話になったトステム株式会社に今期にて退職の意を伝え、半年後の4月よりまったく新しい生活が始まりました。ちなみにこの頃は村田ばら園ではなく「山のばら園」という名称を使っていました。
村田氏は大変優しく、また冗談を言ったりするのも好きでした。当時「おやじギャグ」などという言葉がありましたが「おやじギャグは嫌だからせめてオジンジョークといって下さい。」と言っていたのも懐かしい思い出です。
富士見町への引っ越し
農場へ務めだして2年ほどたった頃、土地を貸していただいていた地主様から返却の希望が伝えられました。これは大変、急いで新しくお借りする土地を探し、ばら苗からビニールハウス、資材類、農機具、水道設備にいたるまであらいざらいすべてを撤去しなくてはなりません。
一方でばらの苗の手入れ、通信販売業務など稼ぐことももちろん並行してこなさなければ資金が足りません。この時期のことはとにかく大変だったという思い出しか出てきません。2年がかりでようやく移転をすませ、今の長野県富士見農場になんとか落ち着きました。
村田ばら園八ヶ岳農場から姫野ばら園八ヶ岳農場までの道のり
富士見に移ってからもたくさんの課題がありました。大変な湿地状態であったため、まず貯水と水抜きを兼ねた井戸を掘り、また一層寒さが厳しくなったため接ぎ木や冬場の苗管理なども、試行錯誤の連続でした。
ばら農場の仕事などといいますとばらの手入れが主であるように一般には思われがちですが、実際にはばらが順調に育つような環境を整えることが主であり、そのためには草刈り、水道管の設置、作業用通路の整備、ビニールハウスの設置および補修などひたすら地味な作業の連続でありました。
そのようにして紆余曲折ありながらも形作られてきた農場でしたが、2011年11月、前代表の村田 晴夫急逝という思いもよらない事態を受けて、農場内では最も長く仕事を共にした自分自身も、農場のばらと共に事業を引き継ぐか、あるいは他の道を模索するのか、決断の時がやって参りました。
前述の通り農場の運営というのは地味で体力的もいりますし、加えて借財の返済、雇用主としての責務もあり、さまざまな意味で難事業であります。なかなか決断を下せない時期が3ヶ月ほど続きました。
最終的には私の中で最後まで輝きを失わなかった思い、「どのような状況になったとしても自分は最後まで、ここのばらと共にいよう。あきらめるのは自分が最後にしよう。」という思いを軸に、とどまることを決意いたしました。
代表として自分がトップに立って農場を運営していくのは、村田 晴夫という代表が別にいて、その中で管理責任者として運営してゆくのとではやはり全然、違っていました。新しい道をまた築いてゆかねばならず、これまでより一層、学び多くそして深き道となりました。
良い苗をお届けしたり庭造りに関する有益な情報をご提供したり、そしてばらたちの魅力を少しで多くの方にお楽しみ頂けますよう、代表としては本当にまだまだですが、一歩の力を信じてもうしばらくここにいます。