花言葉では「嫉妬」「薄れゆく愛」とちょっと敬遠してしまう意味合いの黄色バラ。
しかし実際にはこの黄色バラの出現によりさまざまな色調のバラが生み出され、バラの世界は一気に彩りを増すことになります。まさに豊穣の女神の象徴のようでしょうか。今回はこの黄色いバラの誕生にまつわる歴史とますます豊かになるその後の発展についてご紹介したいと思います。
幻の黄バラを求めて、バラの魔術師「ペルネ・デュッセ」の功績
今でこそ黄色いバラは誰もが目にすることができ、珍しい存在ではなくなりました。しかし100年前まではまさに幻の存在だったのです。
「ラ・フランス」の作出で知られるジャン・バプテスト・ギヨーと並ぶフランスの作出家、ジョセフ・ペルネ・デュッセは当時欧州で定着し始めた、輝くような黄色を持つ原種バラ、「ペルシャン・イエロー」(フェティダ・ペルシアーナ)に着目し、当時から不稔性で交配親としては無理と思われていたこの原種の血をなんとか残せないものかと、1883年から1888年の5年間に6000本ものハイブリッド・パーペチュアル種と交雑させました。
結果はことごとく失敗、しかし唯一の例外が赤紫のHP種「アントワーヌ・デュッセ」を親にしたものでした。二つの実が成り、この中の種子からピンクの丸みを帯びた、しかし枝葉にペルシャン・イエローの面影を残したバラが誕生しました。
デュッセはこれを見逃さず、さらにHT種を交配させて1900年、ついに黄色ばらの第一号とされるオレンジ色の「ソレイユ・ドール」を作出しました。最初の交配から17年の月日がたっていました。
「黄金の太陽」を意味するソレイユ・ドール。しかしこのバラはたしかに黄色であるものの、実際にはオレンジといった方が良く、また完全な四季咲きバラではありませんでした。デュッセはさらにこの品種と丈夫な樹勢を持つHT種「マダム・メラニー・スーペール」を交配させて「リヨン・ローズ」と「レイヨン・ドール」の2つの品種を得ました。
このうち「レイヨン・ドール」は黄色バラとして一世を風靡しましたが樹勢が弱かったため定着せず、その子孫の「コンスタンス」を経て、ついに会心の作とも言える「スヴニール・ドゥ・クロージュ・ペルネ」を誕生させました。1920年、「ソレイユ・ドール」からさらに20年の歳月が流れていました。
黄色の発色は気候によりうまく出ないことがあるものの、ソレイユ・ドールに見られたようなオレンジ味はなく、さわやかなレモンイエローで完全な四季咲きです。この品種の誕生により、現代バラの色彩はさらに多彩になり、特に多くの黄色バラは元をたどればほとんどがこの品種の子孫であるといわれています。
「スヴニール・ドゥ・クロージュ・ペルネ」の直系の子孫である「ジュリアン・ポタン」も多くの子孫を誕生させ、フランスだけでなくドイツではコルデスがこの品種を交配にもちいて「ゴールデン・ラプチュア」を誕生させ、イタリアではアイカルディによる「エターナル・ユース」や「サツルニア」など、その時代を彩った名花たちが数多く残されています。
ペルネ・デュッセ自身も「スヴニール・ドゥ・クロージュ・ペルネ」のみならずHT種の地位を不動のものにした品種として知られる「マダム・キャロライン・テストゥ」や珊瑚色で弁底黄色という当時大変珍しい色彩で話題になった「マダム・エトワール・ド・エリオ」、初の黒赤バラとして知られ、その後多くの黒赤系品種の生みの親となった「シャトー・ド・クロブージョ」など多数の名品種を発表し、「リヨンの魔術師」の異名をとったほどでした。
このようにバラの世界で多大な功績を残したペルネ・デュッセですが、あまりにも育種に打ち込んだため彼の家族は大変な苦労をしたという逸話も残っています。また、後継者としての期待もあった二人の息子を共に大戦で失うという悲劇にも見舞われ、この歴史的な黄色バラに長男「クローディアス(Claudius)」の名が捧げられています。
ペルネ・デュッセの農場はその後若きジャン・ゴジャールに引き継がれ、また後輩ともいうべき名育種家シャルル・マルラン、さらに彼の弟子でもあり、「ピース」の作出で世界的に有名なフランシス・メイアンらによってフランスのバラの文化はその地位を不動のものとしています。
わたくしの農場では現在もペルネ・デュッセの作出花の一部を見ることが出来ますが、その多彩な色彩の花たちは、栄光の陰に隠された悲しみの色をも含んでいるかのようです。
人が人として輝くとき、それは一般的にいう「幸せな人生」とは言い難いものであるのかもしれません。しかしその人としての、何にも代え難い輝きが確かに存在していた・・・どのバラにもさまざまな物語がありますが、とりわけデュッセの作品をみるたび、そのように思えてならないのです。
特におすすめの品種
特におすすめの品種を抜粋して、ご紹介させていただきます。
スヴニール ドゥ クロージュペルネ – Souvenir de Claudius Pernet
現在の強健なバラたちに比べますと作りやすいとはいえませんが、照葉がとても美しく、花付きも良好です。株も半直立に形良くまとまります。鮮明な花色が出にくいことだけが難点でしょうか。その分良い色で発色した時は感動もひとしおです。かすかにティの香りがあります。
フー ペルネ デュッシェ – Feu Pernet-Ducher
フランスのバラ界を牽引したシャルル・マルランによるクリーム黄色の、美しい品種です。亡きペルネ・デュッセを偲んで名付けられ、戦後の日本でも人気がありました。樹は半横張りで花付き良く、初期黄色HT種にはない強健さが加わっています。
マダム シャルル ソバージュ – Madame Charles Sauvage
同じくマルラン氏によるオレンジ色の傑作品種。澄んだ色彩がとても美しく弁端は色彩が淡くなりますが、それもまた趣深い。花付き、株姿共に良く花壇にも鉢仕立てにも好適です。甘いティの香りがあります。